おせち料理で思うこと
今年も今日で終わります。
明日、実家へ持っていく、おせちづくりをしました。

主人は海外赴任。帰国しないので、息子とおじいちゃんと私と3人のお正月です。
息子がおせち料理はあまり食べないので、少しだけつくりました。
なんとなく、お正月の習慣になっていて、食べないと気持ちが落ち着きません。
母を30年前に亡くし父は一人暮らしをしています。もともと長野の出身ですが、今は退職した職場が横浜だったためか 横浜で一人暮らしをしています。
86歳です。
コロナの感染防止のため3年ぶりのお正月の帰省になります。
高齢なので、もし、コロナに感染してしまうと命が、、、ということで 父からもしばらく帰って来いとのお誘いがありませんでした。
86歳で一人で自炊し、70歳ごろ引っ越した土地で老人会にはいり、
毎朝、地域の老人会の方々と1時間お散歩に行っています。
団塊の世代。仕事人間でほとんど子供のころ家にいなかったので子供時代に話をした覚えがほとんどありません。
母が私の若いころになくなってしまったので、老いていく見本は父になります。
自分は86歳で一人暮らしができるのだろうかと、この頃考えます。
今、尊敬する人はだれですか?と聞かれたら、間違えなく父です。と答えます。
父のようになりたいと思っています。私が仕事と家庭に集中できるのは父のおかげです。
私も息子に迷惑をかけず、自分の力でたくましくいきたいと思います。
そんな、ことを思いながらおせちをつくりました。
妹の言葉
今年は作らなかったのですが、錦糸卵が私のおせちのレギュラーです。卵をゆでて、黄身と白身を別々に裏ごしして、型につめて蒸します。
実家でよく母がおせちに作っていたのを手伝いました。
母がなくなってから、いつだったか、家でおせちに錦糸卵を作っていると、妹が
「お姉ちゃん、それ、なんていうの?」ときいてきました。
「錦糸卵っていうんだよ、お母さんがおせちによく作ってたよ。」
「あまり、よく覚えてないんだよね。もっとお料理も教えてもらっておけばよかったな。」
といっていました。
母が錦糸卵を作るときに使っていた、私が幼稚園の時に使っていた水森亜土さんの絵の描かれたアルミのお弁当箱へ裏ごしした卵をつめながら話しました。
私が20歳の時 妹は18歳の時に亡くなったので、2年ほど私のほうが長く母と過ごすことができたんだなぁと思いました。
母には感謝しています。愛情をかけてそだててもらいました。
お母さんは元気で長生きをしなくてはいけないと自分の子供が生まれてから思いました。
父のように元気に生きがいをもって生きることだけで子供は勇気がもらえます。
父を分析してみる
父は大病を患ったことがありません。
大手建設会社でかなりのプレッシャーの中、高卒から働きそして定年の前に失脚して退職にどうやら追い込まれたようです。
しかし、病気にもならず、常に好きなことにベクトルをむけています。
食べ物が、、、、いいのかな?と安直に思っています。魚好きで毎日おそらく魚を食べています。
散歩もいいのかな?と思っています。
クラシックをよく来ていたなと思い出します。
司馬遼太郎を布団に入ってから夢中で読んでいました。
今は、短歌で賞をとったり、老人会の予定表を勝手に作って配ったりしています。
真似ができることはして 健康寿命を少しでも伸ばし、父のような子供に尊敬される老人になりたいです。
明日は6時に出発実家へ行き 息子と実家のまず掃除。 おせちを食べて、初詣をする予定です。
我が家の大掃除息子が大活躍でした。
中学生の雑巾がけや窓ふきのフットワークの良さに 大笑いしてしまいました。
すごくすばやくて さすが若いです。